20180708やまそーさんのツイートからの考察
【新鮮に生きる】(ノートルダムの鐘に関係ない話です)
やまそーさん、今週のご出演、お疲れ様でした!
本日も劇団四季ノートルダムの鐘出演でした!
— 山崎聡一郎(やまそー) (@S_Yamasaki1026) 2018年7月8日
週七回公演出演からの六回公演だと一層あっという間に感じます。誰もが毎日新鮮に演じているので、自分も新鮮さを大切に、その場その場で生み出される交流を丁寧に引き受けて、返さなくてはいけません。来週も一回一回が新鮮な公演になりますように。
新鮮。
これを毎日感じられたら幸せだと思うんだ。
新鮮の反対の言葉ってなんだろうって考えてさ、慣れ、だれ、崩れ。
おお!( ・∇・)シンセン、ダイジ!
そうか、俳優さんは毎日新鮮に演じていらっしゃるのか……と、「新鮮」といいう言葉のもつキラキラ爽やかなイメージに、更に深みが足されていくのですが、今日はナオミの言葉で考察してみようかと。
(ネットで調べたら、新鮮の対義語は陳腐らしい。でも、日常で使うイメージとは少しズレてるような気がしました。)
新鮮の反対の言葉は前述した「慣れ」など、いろいろあるけど、そのひとつに、
新鮮 ←→ 当たり前
ってあると私は思うんですよね。
当たり前と思うと、目が濁るの。
話が飛びますが、入院して手術したことがあります。
思ったより病巣が大きくて、予定外に腹筋にメスを入れる事態になりまして。
術後、お腹に力を入れると激痛が走る日々を過ごしました。
その時、「当たり前、って幸せなんだ」と気づいた。
机の上の雑誌を取れる。
寝返りを打って、眩しくない方向を向く。
そんな当たり前のことが出来なくなって、「当たり前」と思っている事こそ幸せなんだと気づいた。
笑う。
実はコレがいちばん痛くて、ほんと、あの時は辛かったなぁ。
風邪ひいて咳が出れば、「咳が出ない」当たり前の日々の幸せに気づく。
友達とバイバイして会えなくなれば、「友達といた」当たり前の時間の幸せに気づく。
話を戻します。
新鮮 ←→ 当たり前
当たり前と思うと目が濁るの。
感謝することを忘れてしまうの。
新鮮 ←→ 当たり前になって見えなくなる
が、伝えたいニュアンスかな。
目の前の幸せをちゃんと見れる人でいたい。
当たり前の毎日を新鮮に生きたい。
ノートルダムの鐘に関係ない話になっちゃった(^^;
今回も、お読みいただいてありがとうございました✨✨✨