20180720やまそーさんのツイートからの考察
【一筋の文章が見えた / リアルとは何か】
やまそーさん、今日もご出演お疲れ様でした。
本日もノートルダムの鐘でした!
— 山崎聡一郎(やまそー) (@S_Yamasaki1026) 2018年7月20日
一つの文章をリレーのように、言葉を受け継ぎながら語っていくこの作品、そのリレーが上手く行った時の達成感もひとしおです。でもそれはその日だけのリアル。次の日も上手くやるには「同じようにやろう」と思わないことが大事。明日は二公演。1×2ではなく1+1です。
【注意】この記事では、劇団四季ノートルダムの鐘のネタバレを含んでいます。
言葉のリレー。まさに。
人間と怪物、どこに違いがあるのだろう?という謎(※1)を受け取り手(観客)に問いかける劇を、舞台上の会衆が演じている、この作品。
演者さんはそれぞれの役を演じながら、この謎を芯とするひとつの文章を繋いでいるんですよね。
この謎について考えるためのひとつの物語を。(※3)
物語とは、長い長い一筋の文章。
歌の中で、ガーゴイルが順番に言葉を繋いでいったり、市民が言葉のリレーをしていますが、私はこのやまそーさんのツイートを見た時には、もっと大きな枠で、作品全体が全員によって語られていることを感じました。
初めて観たときは、ただただ圧倒されていたけれど、観れば観るほどにいろんなものが見えてくる。
本当にこの作品は奥が深いです。
やまそーさんの言葉で、今日はものすごく長い、一筋の文章が見えました。
もう一歩、考察を。
初めてCDの歌詞を見た時、Congregation(会衆)ってなんだ?と思いましたが、会衆が劇を演じているのだと気づいた、知った、教わった時、衝撃を受けたのを覚えています。
なんて深い作品なんだ!!!
原作で、グランゴワールが聖史劇を書いていますが、ちょうどそれと同じような扱いになるのでしょうか。
つまり、民衆の集まる場で聖書の物語を伝えるための劇のように、何かを伝えるために書かれた劇である、と。
舞台上の会衆が、観客(※2)に向かって劇を演じているのだとすれば、
あの会衆はどこの誰で、
いつの時代のことなんでしょうね?
誰がこの物語を書き(あ、いや、ユゴーですが。でもユゴーはそもそもこの謎を考えさせるための劇として原作を書いたわけではありませんよね?)、
なぜあの会衆たちはそれを演じようとしているのか。
どうして、私たちに伝えたいと願っているのか。
どこかに答えがあるのかな、パンフレットとか、読み返してみます。
※1 原詞ではriddleとなっています。
謎、を英訳するとまずはmisteryが出てくると思いますが、あえて、ここはriddleなんですよね。
riddleって、大人が子どもにしかけるような、なぞなぞ、って感じ。ほら、ちょっと考えてごらん?っていう、気楽さがある言葉。
misteryではなく、あえてriddleを使っているところが、より一層「あなたに考えてほしいんだよ」って感じを出しています。
※2 観客に向かって演じている、と書きましたが、観客も会衆の一部だとも思っています。
冒頭、クロードは客席に向かって説教を説きます。あの瞬間、クロード・フロロー氏の説教を聞きに来ている「人々」は、客席に居る私たちですよね。また、フィナーレでフィーバスが「パリの人々よ」と語りかける時も、私たちにも語りかけられているような気がします。
会衆が劇を「演じているのだ」と言うことは、原詞を見ると随所で感じることが出来ます。英語の一人称が、heやsheになっているからです。歌っている本人がheやsheを使うのはなぜかな、と思っていましたが、「劇を演じている」ということを知った時に納得がいきました。
・・・これもしっかりと考察したいことのひとつですね。
※3 答えてほしい謎がある、ってクロパンが言っているので、そもそもこの作品はこの謎について考えるためのお話だ、と、今ここでは書きましたが、果たしてそうなんでしょうか。
それを考える為に書かれたのか?
それだけの為に?
なんだか、そんな表面的なことだけでは終わらない気がします・・・。
今は見えていないけれど、これから観劇を重ね、考察を重ねるともっと深いものが見えてくる気がします。
***
リアルとは何か。
「1×2ではなく1+1です。」
の言葉に、じ~んと来ました。
上手くいったからと言って同じことをしても、決して「同じ」にはならない。
その日、その瞬間に流れていたすべての奇跡が重なって生まれたリアルだから。
俳優さんたちの本気が伝わってくる、この言葉に、感動しました。
その本気を受け取るべく、私たちも全力であの客席に座るのです。
今回も、お読みいただいてありがとうございました✨✨✨