こども六法プロジェクト[1]

いじめ。

 

教育に携わってきた者として、この人権侵害に、どれだけ苦い思いをしてきたことか。

 

人が人に傷つけられると、ビョーキになる。

 

病名が何、とか、関係ない。ビョーキになる。

そして、それは決して完治しないのです。

 

 

 

やまそーさんが新しいことを始められるようです!

お願いです、最後まで見てみてください。

 


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※  山崎聡一郎(やまそー)さんは、劇団四季ノートルダムの鐘」にクワイヤとして出演されている俳優さんです。

俳優でありながら、いじめ問題を研究する研究者でもいらっしゃいます。

 

 

 


さて、今日は。
やまそーさんが本気でこの問題に立ち向かおうとされているのですから、私も本音を言います。


教育に10年以上関わりました。
それなりの経験を積んできていると自負している。
だから、本気で応えます。
上から目線な失礼な発言もあるかと思いますが、本気ゆえ、とご理解ください。

 

 

 

正直、1回目の視聴では「なんだこれ?」でした。


ただ、最後のセリフは1回で印象に残ります。

 

       大人にとっての犯罪が
       こどもたちの日常であってはならない
       いじめという犯罪をなくそう

 

……なるほど、大人が大人に同じ事やったら「犯罪」ですね。傷害罪、名誉棄損罪とかになるんでしょうか。


1回目の視聴の感想は、

 

「ふぅん、大人の世界と子どもの世界を重ねたんか。
なるほどな。うまいやんか。

 

あ~、確かに『いじめって、犯罪』やな~、せやな~、犯罪ってゆうたら、なんか罪重くてヤバい感じや~

 

アカンアカン。

 

しかし、創りが荒いなぁ。
唐突に始まるし、何やってんだかわかんないし、やってる内容がガキっぽいし。

 

いろんな舞台を勉強してる俳優さんが作ったにしては、荒いなぁ。最初の『いっきまーす』とか、もーちょいあった方が『何かたくらんでる』って期待させて、続きを見るモチベーションになったんじゃないの?」

 

 

そして、推し様のやろうとしていることを理解したくて、2回目の視聴。

 

 

「あぁ、『子ども達の日常』に繋げてるのか。

 

だから、
『唐突』

 

だから、
『ガキっぽい』」

 

大人の世界で「あり得ないだろ…」ということが、子どもの世界では「日常にあっても仕方ないもの」のように扱われている。


そのギャップに、改めて気づきます。

 

 

 

 

やまそーさんと、いじめについての議論をしたことがあります。


(後日、記事に書けたら…と思っていますが、やまそーさんは浜松町で「やまそーのワー蔵ショップ」というワークショップを開催されています。そこでは、様々なテーマで議論を行いますが、「いじめ」は大きなテーマのひとつです)


6月のワー蔵ショップ終了!&7月のラインナップ! | ☆The Dream Goes On☆

 

 

正直申し上げます。


学校現場に立ったこともない学生が、いじめについて語っても、机上の空論。


その気持ちがあったのは事実です。

 

CAMPFIREのプロジェクト内容にも記載されていますが、やまそーさんご自身がひどいいじめの被害者でいらっしゃいます。
いじめの現場について、誰よりも知っていらっしゃる。
そこは認めます。

むしろ、私になんか想像もつかないような痛みをご存知のはずです。

 

 

 

 

私は、教員です。
自分のクラスも持っていました。
自分のクラスで、いじめもありました。
生徒とは違う形で悩み、苦しむ日々を送った経験を持っています。

 

学校がいじめを認知しない。

教員は目をつぶっている。


その声が耳に入らないわけではないし、事実、その声を完全に否定できるほど、透明に真っ向から勝負できていたとは思いません。

 

でも。
学校現場に立ち、直接子どもたちの命の温もりを身近に感じている先生方は、無視なんてしていないし、最善を尽くすべく奮闘しています。


子どもたちとは違う形で、どれだけ骨身を削り、心と命を削っているか…。

 

現場にいる者にしかわからない、「阿吽の呼吸」というものがあります。


空気を読む、とか、以心伝心、とか、そういう言葉とも違う。
「今、この時。この人が。この相手に。」という瞬間があるんです。
それは、言葉で表せるものではないし、その現場を知らない人に説明できるものでもない。

 

その呼吸を知らない人の介入が、事態を悪化させることがあることを知っておいて欲しい。

 

私には、そういう経験があったから。

 

 

 

やまそーさんといじめの議論を始めた時。
前述した通り、最初、私は否定的な気持ちから関わり始めました。


言葉は悪いけれど、「なんも知らない学生が、学校現場に口出ししても引っ掻き回すだけだ」と。

 

 

時間をかけて話を進めるうち、気持ちは変わりました。
やまそーさんがどれだけ真摯に、この問題に立ち向かおうとしているのかを見たから。

 

現場に出てもいない学生が、この問題に立ち向かうと決めてここまで来る間に、どれだけの壁を壊してきたのでしょう。
私のように否定的な目で彼を見る人も大勢いたはず。

それでも、彼は、ここまで来た。

 

彼が[知らない]ならば、その穴を私たち経験者が埋めればいい。

 

 

私たちには出来ない方法で、彼は立ち向かおうとしている。

 

私たちに出来る方法で解決できる問題だったのならば、もう既にいじめという問題は解決しているはず。
だが、現実はどうか?

 

私は数学教員ですので、法教育は初心者です。
ワークショップを通じて、法に関する考え方や、視点や、使い方を教えていただきました。

 

10年教員をやっていても気づかなかったことがたくさんあった。
これを、全国の先生方が知ることが出来れば。
そんな思いも、私の中に、今、あります。

 

       大人にとっての犯罪が
      こどもたちの日常であってはならない
      いじめという犯罪をなくそう

 

犯罪という言葉を「安易に」教室の中に持ち込むのは、私は怖い。
言葉の持つパワーは、私たちが考える以上のものです。
そのパワーだけが、教室で暴走しかねない。

だからこそ、正しい知識とともに、正しい印象とともに、「いじめは犯罪である」ことを伝えないといけない。

 

 

彼にしかない視点で、彼は歩きます。


私は、私だから見える視点で、彼が埋める必要がある穴を埋めるお手伝いをしたいと思う。

 

 

「全ての教室にこども六法を」

 

       それが何のためになる?
       それで何が変わる?
       誰も読まないんじゃない?
       そんな簡単にいい結果は出ないよ?

 

そうですね。
私もそう思います。

 

そこで鼻で笑ってそっぽを向けば、それまでです。
結果は出るかもしれないし、出ないかもしれない。
だけど、動かなければ、「絶対に結果は出ない」のです。


どうしたら効果的になるのか。どうしたら変えられるのか。どうしたら読みたいと思うのか。どうしたら結果が出るのか。

 

私は、教員という立場から、そして現在、心理学を学ぶ者としての立場から、彼が必要とするチカラをお貸ししたいと思っています。

 

プロジェクトは始動したばかり。
これからが戦いです。

 

彼は早速歩き始めてる。

 

 

さて、私は………??

 

 

今回も、お読みいただき、ありがとうございました✨✨✨