こども六法プロジェクト[2]

【伝えたいことがある奴は強い】

 

こども六法プロジェクトの活動報告が出ました!

 


一気に読み終えて、熱くなりました。

 

今回、2段階で想いが深まったんです。
長文になりますが、記録しておこうと思います。


【1段階目:投資とは。】

応援する。
賛同する。
支援する。
参加する。
手を貸す。
一緒にやる。


…でもこんな考え方はなかった。

 

   「技術・才能を投資する

 

成功すればリターンを得られる可能性がある。しかし、失敗のリスクもある。
それを承知で、活動に賛同し、自分の出来ることをする。

 

……それって、投資そのものじゃん!

 

資金は絶対必要だし、お金と言う形の投資も大きなチカラになります。

 

だけど「技術・才能」も投資出来るんだ。

 

今回の活動報告を拝読して、このプロジェクトに関わる多くの人の気持ちに感動しました。


このプロジェクト、チカラとココロが集結し始めてる。


まるで雪玉が斜面を転がりながら周りの雪を巻き込んで、大きく重く成長して大きなチカラを持つように、今、このプロジェクトは急成長している。

 

これは………おもしろい!!
私は、学校といつ枠の中ではそこそこ色んなおもしろいことをしてきたと思っていましたが、世の中にはこんなにでっかいオモシロイことがあるのか!と、熱くなっています!!

 

 


【2段階目:私の自惚れ】

この活動報告が発表されてから、活動報告のページと、そして前回自分が書いた記事を、何度も何度も読み返しました。

 

[前回の記事です]

https://naomi-loves-math.hatenablog.com/entry/2018/09/02/020058

 

どこかに感じる違和感。
どこかに感じるチクっと引っかかる何か。

 

 

何度も読み返しました。

 

そして気づく。
自分の、自惚れに。

 

あぁ、これが
「学校目線」か。
「自分の保身」か。

 

 

前回の記事で書いたことは、本音です。
なるべく「キレイ事」にならないように、胸の中にある気持ちにいちばん近い言葉を探して探して書きました。

 

だから、あの記事を書いていた時の私は、まぎれもなく「私」なんです。

 

そして、今回の活動報告を拝読して、改めて、作者の想いに触れました。


こども六法の著者の想い、このプロジェクトが立ち上がったその瞬間の想い、そしてプロジェクトが成長する過程で育った、みんなの想い。

 

このプロジェクトは、「内なる想い」に溢れてる。


いじめという現場の内から湧き出る想いがある。
助けを求めている声そのものが、響いてる。
助けを求めている声を聞いて動いたのではなく、その声そのもの。

 

前回の記事では。

学校現場と言う「内」にいる私は、現場を知らない学生という「外」からの干渉に、否定的な思いを持っていました。

 

それは。
私の、自惚れでした。

 

私は……
助けを求める「内」からの声に、教室を預かる責任者としての「外」からの耳で、考えを述べていました。


今回の活動報告を拝読して、内から外を見る目線に触れ、自分の思い違いや、自惚れに気づきました。

 


私の目線は、いかに子どもたちを守るか、です。
今、目の前にいる子どもたちを、いかに自分の手中に納め、悪いことが起こらないように導くか。

 

学校現場に立つときの、自分の基本姿勢がそうだったのだと気づきました。

 

子どもたちの声を聞き、誰よりも自分のクラスに入り込み、根を張り、信頼を得るよう努力してきました。
異変があればいち早く察知できるよう、「何言っても聞いてくれる人」のポジションを確保すべく、様々な工夫をしてきたんです。

 

そのやり方は間違ってないと自負していました。

 

しかし。
今回の活動報告を何度も何度も読み返しているうちに、それは私の保身の為だったのではないか?と思うようになりました。

 

悪いことよ起こるなと、慎重にアンテナを張っていたのは、自分の保身の為。
何も起こらないようにする為。
何も起こらなければ、良い先生でいられるから…………

 

そして、そうやって努力している自分に酔っていなかったか。
これがいちばんの気付きです。

 

前回の記事で、教室に「犯罪」という言葉を持ち込むことへの懸念を綴っています。

 

犯罪という言葉を「安易に」教室の中に持ち込むのは、私は怖い。


言葉の持つパワーは、私たちが考える以上のものです。
そのパワーだけが、教室で暴走しかねない。

 

だからこそ、正しい知識とともに、正しい印象とともに、「いじめは犯罪である」ことを伝えないといけない。

これこそ、保身を象徴している。
犯罪という言葉が暴走すると、自分のコントロールが効かなくなるから、嫌だ。だから教室に持ち込むなら、暴走しないようにせねばならない。


これだから、教員は。
これだから、学校は。


……私は、子どもたち第一でやってきたつもりでした。
誰よりも自分のクラスを愛してる自信があったし、出来るだけのことをしてきたと自負していました。

 

その自負が、目を霞ませてはいなかったか。

 

活動報告とともに、パトロンとなった皆さんのコメントも何度も拝読させていただきました。


ご自身が辛い思いをされていた方からのコメントや、お子様のご心配をされている方からのコメントを拝読し、そして皆さんがこども六法にどんな期待をされているのか、何度も何度も繰り返し読み返して、味わせてもらいました。

 

こども六法を、教室に置いておくだけではダメだという気持ちに変わりはありません。


置いておくのはスタートなんです。
そこから、どうアプローチするか。
それには絶対に工夫が必要で、継続して見守っていかないといけないと思っています。


僭越ながら「学校現場を知らない彼らの代わりに、どんな工夫をすれば子どもたちの興味を引き、効果的に導入できるか考えてみよう。」などと想像をめぐらせたりしていました。

 

でも。
教員目線で私が考えるどんな工夫よりも、
この活動の中心となっている彼らの気持ちに触れることが、子どもたちの心に直接響くと確信しました。

 

現場の教員が工夫することじゃない。
内から溢れる「助けたい、なんとかしたい」という彼ら自身の想いこそが、いちばん響く教材だ。

 

……教材?

 

そんな枠でくくるものではない。

 

生きる力に繋がるもの。
心の支えになるもの。
命に直接温かさをくれるもの。

 

   【伝えたいことがある奴は強い


内なる想いから生まれる声が持つチカラは、ものすごく大きく、そして、響くのです。

 

 

 


学校現場にいたとき、私の中には2つの顔がありました。

 

ひとつめ。
私は数学が好きなんです。
好きなことを伝えるのは楽しい。

 

ふたつめ。
私は良い先生と言われたかった。
成績が上がれば保護者からの信頼度も上がる。

 

ひとつめの私が授業をしたら……
ほら、こんなに面白いんだよ、聞いて、みんな!ほら見て!
と、自分の内から伝えたい!という気持ちが溢れている時は、子どもたちの理解度も高く、興味を持って聞いてくれました。

 

ふたつめの私が授業をしたら………
成績を上げてやろうなどと、自分がコントロールしようとして作為的に工夫した時は、効果が薄いんです。


あぁ、こんなことは、現場に立っていた教員として、嫌と言うほど実感していたのに!

 

やっぱり、私は「学校」なんだよな、考え方が。

コントロールしたい、失敗させたくない(したくない)が最優先にくる。
伝えたい、やりたい、だけでは動けない。

 

私は、子どもたちの味方のつもりだったのに、やっぱり「学校的考え方」だったのかなぁ……


前回の記事も、正直な気持ちでした。


そして、その気持ちは今回、こんな変化をしました。今回も正直な気持ちです。

 

学校現場にいるひとりの教員として、この気持ちの変化は正直に残しておこうと思い、記事にしています。

 

彼らのプロジェクトが、「ひとりの教員」という単位に対してどんな影響を与えたのか、その観察記録になれば。

 

ひとりの教員への影響。
教員の集団への影響。
学校への影響。

 

単位は様々ですが、いちばん小さい単位の「ひとりの教員」が変わることが、どれだけ大きなチカラをもっているか。

 

今回、私が気づけたように、全国の先生方にもこの変化が伝染していけば、きっと何かが変わる。

 

彼らのチカラが、大きな変化へと繋がりますように……!!

 

こども六法プロジェクトは、子どもたちの為のもの。
子どもたちに直接届けることがプロジェクトの狙いなのだと思います。

 

でも。
私のように、影響を受ける大人もいる。
影響をいただく教員もいる。

 

今、私に出来るのは、教員目線でこのプロジェクトを見守ること。
それが私に出来る投資です。

 

今回も、お読みいただき、ありがとうございました✨✨✨