HND考察:名古屋を経ての鐘考察【①クロパンの「光と闇」(人間と怪物)】

名古屋を経ての鐘考察【①クロパンの「光と闇」(人間と怪物)】

 

【注意】この記事では、劇団四季ノートルダムの鐘のネタバレを含んでいます。
 

 

私、個人の考察です。

偏りや、個人的解釈を多く含んでいます。

ご了承下さい。

 

 

 

クロパンについては今回の名古屋公演でめちゃくちゃ思いが深くなりました。
最初に考察したキッカケはワンドロでクロパンの見どころを描いたこと。この時自分なりのクロパン像を整理しました。


考察の軸にしたのは、トプシーターヴィーのときの行動です。
トプシーの時、彼の目は楽しんではいない。真剣に観察し、周りの状況を伺っている。祭りを盛り上げて市民を煽りつつも、問題が起こらないように監視しています。


トプシーはクロパンにとってどんな場所かというと、金稼ぎの場所だと思うんです。

エスメラルダのダンスの投げ銭ももちろん収入源ですが、それよりも、スリが主な稼ぎになると思うんです。

ジプシーの仲間たちがスリをしやすい状況を作ることが、クロパンの仕事なのかなと思います。市民たちが興奮し、泥酔し、揉みくちゃになりながら大騒ぎしている状況をなるべく長く維持するべく、次々とイベントを起こしてそれぞれを盛り上げている。

でも、そこで問題が起こると市民たちは一気に警戒してしまう。警戒されるとスリをしにくくなるから、問題が起こらないようにコントロールしてる。

その事がよくわかるのは、カジモドが王様選びの幕から顔を出して、市民がドン引きしてしまった時です。興奮が一気にドン引きにまで落ちてしまった。お酒も入っているであろう市民たちは、醜いカジモドを見てどうなるでしょうか。なんだあれは!って、排除しようとするはずです。

それを、クロパンが「こいつを見つけたことはラッキーじゃないか!」と、無理矢理市民たちの意識を変えさせて「良かったこと」に捻じ曲げて、祭りのムードを盛り返します。

結局カジモドへの暴行は始まってしまいますが、実際、カジモドいじめが始まるのはクロパンがその場を離れてからです。

 

金稼ぎのためだけの行動なのか。
私はもっと深い背景があるんじゃないかと思っています。

ああいう稼ぎ方しか出来ないようになってしまった、ジプシーたちのこれまでの生活が見える。嫌われ、疎まれ、さすらってきたジプシーとして、それでも食っていかねばならない状況で、クロパンが見つけた生きる道のひとつが、トプシーでの稼ぎ方なのかな、と。

見つかれば殺されるリスクを背負いながらも、みんなが食うためにはあの方法しかなかった。


クロパンにとってパリの市民は金稼ぎの材料でしかなかったと思うんです。
市民に認められたいとも思っていないし、市民たちの幸せなんて考えてもいない。人間が畑を耕して、自分が食べるためにせっせと野菜を育てるように、クロパンにとってパリは畑で、市民は野菜でしかない。食べるために観察し、いちばん良い状態で収穫できるように分析しているだけの対象。

 

クロパンがジプシー仲間へ向ける目線と、市民に向ける目線は全く違っていたと思います。

仲間は人間。

市民はモノ。金さえ稼げれば、死のうが生きようがどうでもいい。それぐらい違ったんじゃないかな。それぐらい冷酷にならなければ生きられないような人生を送ってきたのではないかと。

 

それが、クロパンが持つ闇の部分。


人間を仲間かそうでないかで二分化し、片方には冷酷な目を向けている。それが、クロパンの中にいる怪物の目。

 

そして……これは友達が話してくれた内容なんですが、「クロパンが光を見つけた瞬間はいつなのかというと、奇跡御殿でフロローが攻めてきてみんなが捕まって、もう駄目だってなった時。自分はあきらめかけていたけれどエスメラルダとフィーバスは自分の命を懸けてもお互いを守ろうとしていた。その姿を見て、クロパンの中に光が見えた。自分のやるべきことを悟って、それを実現するために一人でその場から逃げた。」
なるほど!と。
改めて、ノートルダムの鐘の登場人物は全員が光と闇を持っているんだなと思い知った瞬間でした。


ここからは私の考察に戻るんですが、では、クロパンにとっての光とは何だったのか。


クロパンが一番大事にしてきたのは仲間だと思うんですよね。ジプシーであることに誇りを持って生きている仲間。

その【誇り】に変化が起きた。
今までは、ジプシーの誇りとは、「他の奴らと群れたりせずに仲間だけを信じて生きていく」みたいなものだったんじゃないかなと思うんです。
それが、エスメラルダやフィーバスと関わったことで「どんな場所でも、どんな環境でも、自分たちの存在を他と対等に見て、ジプシーとして胸を張って生きること。」に変わった。胸を張って生きるという表現には、きちんと認められて生きるという意味を込めました。仲間内だけで群れて、壁を作って、牙を剥いて生きるのではなくて、きちんと居場所を認められて堂々と生きること。

それが、クロパンが見つけた新しい光じゃないかな。
それを実現するために、クロパンは一人で逃げたんではないかと。

 

①当時のパリの市民の心の拠り所であったノートルダムの大助祭が暴挙に出ている。
②一度は市民を熱狂させたアイドルのエスメラルダが捕まった。この時点では捕まっただけだけれども、この後派手に処刑されるだろうということが予想される。
③自分の仲間も全員捕まってしまったが、最初に殺されるのはエスメラルダだろうから、エスメラルダが生きているうちは他の仲間はきっと大丈夫だろう。

特に①と②について冷静に判断して、自分の中に見出した新しい光を実現すべく、あの場を一人で逃げたんではないかなと思いました。

 

続きは2.フィーバスがパリの人々に歌いかける意義、にて語ります…

 

今回も、お読みいただき、ありがとうございました✨✨✨

 

名古屋を経ての鐘考察【目次ページ】はここです。

https://naomi-loves-math.hatenablog.com/entry/2019/05/21/030123