HND考察:名古屋を経ての鐘考察【⑤フロローにとっての安心と安全、ジェアンにとっての安心と安全】  

名古屋を経ての鐘考察【⑤フロローにとっての安心と安全、ジェアンにとっての安心と安全】

 

【注意】この記事では、劇団四季ノートルダムの鐘のネタバレを含んでいます。
 

私、個人の考察です。

偏りや、個人的解釈を多く含んでいます。

ご了承下さい。

 

 


これねぇ。本気で語り出すと歴史も掘り返さなきゃいけない大変な沼で、論文1本書けるんじゃないの??って内容ですが。
あ、いや、これに限らず、鐘の考察は全部論文レベルに落とし込めますよね。
本当に恐ろしい作品だ。(褒めてます)
ユゴーの原作にここまでのギミックが詰め込まれてるかっていうと、そうでもない気がするんですけど、これだけの事をこの舞台版に詰め込んだスコットさんは、本当に怪物だわ。歴史的超大作だと思う、本当に。

 

では、本題へ。
まずはセリフ整理ね。(著作権…こわい…一部だから大丈夫かな…)
ジェアン「なんだよ?追い出されないと思っていたのか?あいつらが誰だと思ってる(A)んだ?」
フロロー「あの方たちは、住まいと、安心と、安全(B)を下さった。」
ジェアン「安心?これを安心と呼ぶのか?これが安全なのか?(C)それなら兄さんに譲るよ。好きにしたらいい。」

 

1個前の記事で、国語の問題風にすると書きやすいなって思ったので、今回も(A)(B)(C)をつけました。

 

この記事で話したいのは、題名にもしている、フロローにとっての安心と安全、ジェアンにとっての安心と安全です。


まずはフロローにとっての安心と安全から。だから、(B)からってことですね。


論文に出来るほどちゃんと調べていないので、表面だけさらっていこうと思います。

 

フロローにとっての安心と安全とは、大聖堂そのもの。
兄として幼い弟を守らねばならなかった幼少時代、兄だと言っても自分自身も幼かった。自分の身すら、どうにもできない無力な者だった。そんな自分を無償で助け、住まわせ、食べるものを与えてもらい、自分も弟もここまで育つことが出来た。
フロローにとっては、大聖堂での庇護がなかったら、それは死であり、自分だけでなく弟も死なせることだった。


だから、大聖堂の庇護は絶対なんですよね。逆らえない。命の恩人だもの。自分と弟の、命そのものの恩人。そして、兄は弟を守らねばならないという兄としての尊厳の恩人でもある。
だから、神父様の言うことをよく聞いて、よく勉強し、精進したんだと思います。それしか恩返しの方法がないから。


外に出たこともなかったんじゃないでしょうか。
酒や女がルール違反だから、っていう以前に出る気もなかった。フロローにとっては大聖堂が全てで、その外を知る必要もないし、知りたいとも思わなかった。
むしろ、大聖堂の外のことは孤児として過ごした惨めな日々のことしか知らないから、出たくなかったんじゃないかな。

 

だから、フロローにとっての安心と安全とは、大聖堂そのもの。

 

では、ジェアンにとっての安心と安全とは?

 

ジェアンは、兄に守られて自由に育ったから、外にも出て行っていたんだと思います。
自由という言葉は適切じゃないかもしれません。……余計な心配なく、余裕をもって育ったというか。ジェアンの視界に「死」というものが見えないように兄が壁になってくれていたから、死や、社会へ放り出されることの恐怖を感じることなく育ったんじゃないかな。


だから、大聖堂の外にも出て行った。


ジェアンの目にはパリはどう映ったんでしょうか。
自分は大聖堂の庇護を受けていて、食べるものも着るものもあり、寝る場所もある。
しかし、パリに生きていた人たち全てがそうではなかった。
一方では、裕福できらびやかな生活も見たでしょう。そして一方では、貧しい人々の生活も見たでしょう。
街中にはびこる差別も、理不尽も、秩序があるように見せかけて裏ではドロドロに腐った政治も、大聖堂の外に渦巻くいろんなものをジェアンは見ていたと思います。

 

当時、教会の持つ力は大きかったそうです。
NHKの100分で名著「ノートルダム・ド・パリ」からの知識なんですが、印刷技術がなかった時代、教会は「知識を得る場所」だったそうです。神父様が説く説法が、唯一の学びの場であったと。だから、人々が教会に集まっていたし、教会は強大な権力を持っていた。

(論文を書く覚悟で詳しく調べたわけではないので、この記事では、ふんわりとイメージだけで書くに留めておきます…)

 

大聖堂の外に出て、人々と関わりを持ったジェアンはどのように感じていたんでしょうか。

衣食住が確保出来ている身であるとはいえ、贅沢は出来ないお財布事情であったと推測できるので、ジェアンが関わっていたのはいわゆる下々の者たちだと思います。実際、ジェアンがM4さんから受け取る酒は密造酒ですしね。

 

差別され、蔑まれていたジプシーと仲良くなり、フロリカとも知り合った。
ジプシーやフロリカとの関係を深めていくにつれ、ジェアンの中の「安心と安全」の認識はフロローが持つそれとは離れていったのではないでしょうか。

 

蔑まれていたジプシーの目線で物を見るようになったジェアンには、教会がジプシーを排除しようとする行為は、決して “ 安心と安全 ” には思えなかったでしょう。誰もが同じ神の子と歌っていながら、実際には明らかな差別をしていた。


それが、ジェアンが叫ぶ「安心?これを安心と呼ぶのか?これが安全なのか?」つまり、(C)の安心と安全です。

 

ジェアンの思う“安心と安全”とは、下々の人々も守られる、差別のない安心と安全。仲間のジプシーも、愛するフロリカも、大聖堂の庇護の元にある自分自身も、平等に扱われる世界だったのではないでしょうか。

 

これを踏まえると、(A)の「あいつら」とは……表の顔は慈悲深いふりをしていて、みんな平等ですみたいなことを言っているくせに、実際にはジプシー(等の、当時蔑まれていた人種)を排除しようとしている、大嘘つきたち!……って言っているんだと思います。

 

あのシーン、音楽の中で怒涛のように流れていく数々のシーンのうちのひとつで、どどどどっと過ぎ去ってしまいますが、この短いセリフの中に、凄い量の情報が詰め込まれていると思うんですよね。

 

このへんの考察、もう少し続きます。
今回シリーズにしている名古屋鐘からの考察⑤~⑦は繋がっている感じです。

 

今回も、お読みいただき、ありがとうございました✨✨✨

 

名古屋を経ての鐘考察【目次ページ】はここです。

https://naomi-loves-math.hatenablog.com/entry/2019/05/21/030123