HND考察:名古屋を経ての鐘考察【⑥なぜフロリカのことを黙っていられなかったの💦】  

名古屋を経ての鐘考察【⑥なぜフロリカのことを黙っていられなかったの💦】

 

【注意】この記事では、劇団四季ノートルダムの鐘のネタバレを含んでいます。
 


私、個人の考察です。

偏りや、個人的解釈を多く含んでいます。

ご了承下さい。

 

ジェアンがフロリカを大聖堂に連れてきて、デュパン神父が来ちゃって石像の後ろにフロリカを隠して……でもデュパン神父に「何をしているのかね?」って言われて……ジェアンが何も言わないからって、クロードがフロリカを引っ張り出しちゃうシーン。
なんで??
なんで出しちゃうかなぁ、そのまま隠しておけば良かったじゃん!
って毎回思っちゃうんですけどね(^^;
そのまま隠しておけば、ジェアンが破門されることはなかっただろうに。

 

シーン覚書。
「なんでもありません、神父さま。」「本当になんでもないのか?クロード。」「ジェアン、言いなさい。お前が言わないなら、私が言う!」

 

ひとつ前の⑤フロローにとっての安心と安全 (   https://naomi-loves-math.hatenablog.com/entry/2019/05/27/075043  )の記事からのつながりもあるんですが、この、「フロリカを隠しておけなかった=教会に対して嘘をつけなかった」というのは、クロードがどれだけ盲目的であったかを示す行動なのかな、と思います。
(※注意:教会、という表現が適当なのかわかりません……ちゃんと勉強して書いているわけではないので……信仰、信者として守らなければいけないルール、キリスト教、など、他の言葉の方が適切なのかもしれませんが、一般的な会話文で使う意味での「教会」として、以後この言葉を使っていきます)

 

如何にクロードは外の世界を見てこなかったか。大聖堂の中しか見てこなかったか。
外の世界から自分を隔絶したのはクロード自身なのかもしれません。

記事⑤でも書きましたが、幼いころに弟と二人で放り出された、あの “ 外の世界 ” を見たくないと、大聖堂という安全地帯の中に閉じこもったのは彼自身の選択だったのかもしれません。それだけ、力を持たぬ弱いものが生きるには辛い時代だったのでしょうね。親を亡くした孤児、冷遇されるジプシー、病人や飢えた人々は地を這って生きていた、生きているのか生きるのが地獄なのかもうわからない、そんな環境だったんでしょうか。

その地獄から救ってくれた教会こそが、クロードにとって全てであり、それを裏切ることはできなかった。


そこには信仰心ももちろんあったと思うんですが、信仰心だけではクロードの心の全てを説明してくれない気がするんです。信仰心とは別に、耐えがたい恐怖心から逃れたいという想いがある気がするんです。あるいは、信仰心の元となっているのがそもそも恐怖心から逃れたいという願望であるのか。


信仰心が深いから教会に対して(神父さんの詰問に対して)嘘をつけなかった、というだけではない気がするんですね。
教会を裏切るということに対する恐怖心。
教会という、自分を守ってくれる存在を裏切ることに対する恐怖心。
教会という、自分を守ってくれる存在を裏切ることで、自分を守ってくれる壁から放り出されることに対する恐怖心。
放り出された先にあるものに対する恐怖心。

 

それが、弟の悪事をちょっと隠してやる、っていうことを圧倒して、フロリカを引っ張り出してしまったのかな、と。

 

あるいは、この時点ではそこまで重い考えはなかったのかもしれません。
正直に答えれば教会は悪い扱いはしないでいてくれるだろう、弱き者(私たち兄弟)を救ってくれたように、今回のことも許してくれるかもしれない、と思ったのかもしれませんね。
でもその考えの土台にも、盲目的な教会への信頼があるように思います。上記した理由は私の勝手な解釈ですが、何らかの理由でクロードは外の世界をきちんと見ず、狭い世界に閉じこもって、そこに安心を見出しているように思うんです。
その安心への盲目的な信頼。
いや、信頼なのか、執着なのか……

 

いずれにせよ、フロリカを引っ張り出しちゃったのはクロードの教会に対する盲目的な執着だと思いました。
まぁ、これ以外に答えはないですよね(^^;

 

先ほどから何度も教会への裏切り、と書いていますが、あの一連の事件の中で、何が裏切り行為だったのかな、って考えてみると、私は思考の泥沼にはまり込みます……。
ぼんやりと全体を見ているだけなら、ジプシーを大聖堂にいれたこと、それを隠そうとしたことが裏切り行為なんですけど、もうちょっと深く見てみると、その後のクロード……改め、フロローの行為への解釈が微妙に違う味になっていくんです。

 

当時の常識として、ジプシーを大聖堂に入れることはダメなわけです。でも、これをやっちゃったのはジェアン。
隠してよ!って言われて、思わず隠しちゃったこともダメなことだけど、これもジェアンに言われてやっちゃったことだから。

 

ここから先がクロード自身の判断での行為ですが、彼の信念から外れていたことが「隠している」という行為だったのか、「嘘をつく」という行為だったのか。
え、同じこと言ってるやん、ってなるんですけど、微妙に違うと思うんですよね……(考えすぎ?)
隠すっていうのはね、弟をかばうためにやってる行為っていう、仕方ないとこもあってですね、なんかちょとまだ言い訳できる余地があるというか、ね、わかっていただけます??でも嘘をつくっていうのはもう、もっと根源的なところで、言い訳とか逃げ道がなくて、白と黒しかないというか、それこそ正義と真反対のところにしかないというか、伝わりますかね……
(書いてる本人もここはまだ考えがはっきりしていないので濁しておきます。だらだら長くなるだけだし……)

 

ということで、今回話したかったことはほぼ書いちゃった感じなんですが、もうひとつ私の中に聞こえてくるフレーズがあるので、それを書き落としておこうとおもいます。


悪人は罰を受ける。邪悪な心は災い。

 

この言葉。
この言葉は、この時にはすでに刷り込まれていたことなんでしょうか、それとも……この事がキッカケで生まれた言葉なんでしょうか。
前者だとすれば、
隠し事をするような悪人は、罰を受ける。
嘘をつこうとするような邪悪な心は、災い。
だから正直に言って、罰を逃れ、邪悪にならないようにしよう。
……で、フロリカを引っ張り出しちゃう。
後者だとすれば、
隠し事をするような悪人は、大切な弟を破門にしてしまった事を一生悔やんで生きねばならぬという罰を受ける。
嘘をつこうとするような邪悪な心が、このような災いを招いたのだ。
この想いを、毎日毎日、片時も忘れることが出来ずに悔やみ、責めて生きることになってしまった。

フロローにとっての「罰」って何だったんでしょうね。

 

今回も、お読みいただき、ありがとうございました✨✨✨

 

名古屋を経ての鐘考察【目次ページ】はここです。

https://naomi-loves-math.hatenablog.com/entry/2019/05/21/030123