HND考察:20181003やまそーさんのツイートからの考察
【「また後で出会いましょう。」私たちも会衆であること。】
やまそーさん、今日もご出演お疲れ様でした。
今日もノートルダムの鐘出演でした。「今日も一期一会、また後で出会いましょう」で別れたミーティング、本作の物語はあの場に会衆として偶然居合わせることからスタートします。その偶然の積み重ねに驚きながら、明日からも新鮮に生きます。(写真は台風前夜に帰り道を振り返った時撮ったやつ) pic.twitter.com/Qxp6vZifKF
— 山崎聡一郎(やまそー) (@S_Yamasaki1026) 2018年10月3日
【注意】この記事では、劇団四季ノートルダムの鐘のネタバレを含んでいます。
「今日も一期一会、また後で出会いましょう」
…なんて素敵な挨拶なんでしょう!!!
以前の記事(https://naomi-loves-math.hatenablog.com/entry/2018/07/20/234728)にも書いたのですが、ノートルダムの鐘という作品の重要な前提として、
人間と怪物、どこに違いがあるのだろう?という謎を、受け取り手(観客)に問いかける内容の劇を舞台上の会衆が演じている
というものがあります。
他ならぬ、達郎さんから「その日そこにたまたま居合わせた会衆が、自ら『今日はこの役は僕がやるよ』とひとりずつ宣言をして、その役を演じている」ということを教わった時の衝撃は今も覚えています。
あなたの心に何かが響いていますようにと願いを込めて、舞台上の会衆さんが劇を演じてくれている。
深いぃぃぃ!!!
……と、やまそーさんの今日のツイートを拝読するまでは「会衆が演じてるって設定はすごいなぁ」って感じるところまでで私の心は一段落していたのです。
「今日も一期一会、また後で出会いましょう」
この一文を見て、身震いしました……!
毎日、毎回、あの舞台で、そして客席で、みんなが出会っているのだ……という衝撃。
あの場にいる人全てが、あの場で初めて出会っているんだ!
新鮮な出会い!
新鮮な出会いなんだ……!!!
やまそーさんも以前から何度も「新鮮」という言葉を使われますし、達郎さんも使っていらっしゃいました。
慣れだれ崩れにならないように新鮮に……という意味で新鮮という言葉を受け取っていたのはもう過去のこと。
ノートルダムの鐘という作品において、新鮮って言葉は本当に特別なものですね……!!
・゜・(つД`)・゜・感涙
私も、新鮮に観劇します!
あぁ、全力で、新鮮に!!!
やまそーさん、とても素敵な挨拶を聞かせて下さってありがとうございました✨✨✨
さて、今日はもうひとつ……。
やまそーさんのツイートの中にもある、会衆という言葉について。
前述の記事にも書いているのですが、
舞台上の会衆が、観客(※2)に向かって劇を演じているのだとすれば、
あの会衆はどこの誰で、
いつの時代のことなんでしょうね?
ここは今でも謎です。
そもそも、会衆って何なんでしょう?
「人々」ではなく、わざわざ会衆と呼ぶ意味は?
残念ながらキリスト教の歴史や文化について、私は不勉強ですので、wikiや辞書を使って調べてみました。
会衆(かいしゅう)とは、キリスト教会の者らのことを指す。特にキリスト教の教団の中で、会衆制という教会政治制度を認める教派の用語では、特定の目的または活動のために集められた信徒集団のこという。
※さらに、「会衆性」とは…
また、辞書で CONGREGATION を引いてみると、
集合、会合、(人の)集まり、(特に、宗教上の)集会、(礼拝に集まる)会衆
が主な意味として載っています。
この作品において、wikiに記載されているほど濃く宗教的な意味を持たせているのかは、(詳しい設定を知ることのできない)私たちにはわかりませんが、舞台の上にいる人々は、少なくとも「ただの人々」ではなく、意志を持って集まった集団であることはわかります。
では、私たち観客は?
私は、私たち観客も会衆のひとりであると考えています。
ノートルダムの鐘を観る!という意思を持って集まった集団ですから。
先日(2018.9.24)名古屋テレビ「ドデスカ!」にて、ノートルダムの鐘名古屋公演の初日に密着した映像が放送されました。
その中で、ノートルダムの鐘の舞台監督の真継さんがこのように話されています。
ノートルダムの鐘には緞帳がない。
お客さんがロビーに入ってきたら、もう大聖堂に入ってきたのを見せたいというこだわりがある。
客席のドアは、大聖堂のドア。
客席は、大聖堂の中。
あの椅子は、大聖堂の椅子であり、
正面にステンドグラスを見、重々しいあの鐘の音を聴いて、
心に響くこのお話を聴きに来た会衆こそ、私たち。
また、同じ番組の中で達郎さんがこのように話していらっしゃいます。
この作品の魅力って、二度と同じことが起きないのが面白い。受け手や見る時の心持ちで、同じように見えないように作られている。ものすごく内容が深いので少しでもそのメッセージを感じてもらえるような芝居をしていけたらと思う。
この作品を完成させる大切な要因のひとつとして、私たち受け手が、私たちの心持ちが挙げられています。
私たちは、ただ受け取るのではない。
作品の一部として機能している。
私たちも、会衆なのだ………!!!
リピーターも多いこの作品ですが、やまそーさんもおっしゃっていらっしゃるように、私も会衆のひとりとして、毎回毎回を新鮮に生きたいと思います。
「今日も一期一会、また後で出会いましょう」
その出会いの場に、早く行きたい。
名古屋に行けるその日を心待ちにしています。
今回も、お読みいただき、ありがとうございました✨✨✨